彼と彼女。
この二人の関係は“親友”だった。
手を繋ぎ合って、街に繰り出して。
頬を紅く染めて、微笑みあって。
そんな触れ合いを繰り返して。
――そして、一度だけのキスをして。
けれど、彼と彼女は何も変わらなかった。
そう……。
二人の関係は“友達”でしかなかった。
魔法少女リリカルなのは Dark Angel―堕ちた天使の物語― Part1.関係―彼と彼女―
「――で、ユーノ君の明日の予定は？」
『んーごめん、明日もずっと仕事かな……』
モニターに映る青年の名は、ユーノ・スクライア。
その青年にモニター越しに話しかけている少女の名は、高町なのは。
「えーせっかく会えるかと思ったのにー」
『本当にごめん、なのは。埋め合わせは、今度必ずするよ』
「もうっ、いつもそればっかり」
むぅ、と頬を膨らませて、なのははじーとユーノの顔を見つめた。
そんな子供っぽい、可愛らしい態度をとるなのはを目の前にして、ユーノは苦笑して見ているしかなかった。
毎日、短くても連絡を取り合うのは、もはや二人の日課。
暇や時間さえ合えば、一緒に街に出かけることだって多い。
そんなやり取りは、二人の間では当たり前のことだった。
いつから、そんな風になっていたのかなんて、なのはにもユーノにも分からない。
お互いがお互いを自然と必要としている。それは、周りの人の目から見ていても明らかだった。
「――まぁ、いいけど……そういえば最近、無限書庫のほう忙しいみたいだね」
『うん、そうだね。というか、無限書庫が忙しいのは今に始まったことじゃないけどね』
「だけど、お休みはちゃんと取ること！ ヴィヴィオだって会うの楽しみにしてるんだよ？」
ちょっと目をきつくして、画面越しにユーノを叱る。
それに対してユーノは、そんななのはの様子を見て困ったように頬を掻いた。
『――ごめん。分かってはいるんだけど……ヴィヴィオは元気にしてる？』
「うん、早くユーノ君に会いたいって言ってるよ。ヴィヴィオ、ユーノ君のこと大好きみたいだから」
ユーノとヴィヴィオが出会ったのは、ＪＳ事件が終わった直後くらいのことだった。
ＪＳ事件での無茶な魔法のため入院していたなのはの元へ、ユーノがお見舞いに訪れた時、偶然出会ったのだ。
なのはの病室の前で、うろうろしている少女に。
『どうしたの？ 入らないの？』
ユーノは少女に声をかけてみたのだ。
声をかけられた少女は瞳を大きく見開いて、キョロキョロ辺りを見回した。
そして、スススッと通路の角に身を隠し、頭だけ出してユーノをジーと見つめる。
『――だあれ？』
垢と碧の瞳が不思議そうに見つめていた。
外見的な特徴から、この少女がヴィヴィオだと簡単に想像することができた。
なのはから事前に話は聞いていたのだ、ヴィヴィオという少女を保護し、一緒に暮らしていると。
『んーと、僕はユーノ・スクライア。なのはの……友達かな？』
『――なのはママのお友達？』
『うん、そのとおりだよ――』
それがユーノとヴィヴィオの初めての出会いだった。
それからも幾度か、なのはを介してヴィヴィオとは過ごしてきた。
最初のころは、まだまだ警戒されていたけれど、いつの間にかすっかり仲良くなってしまった。
ヴィヴィオが笑顔でいる。それだけで、ユーノは自然と頬が緩むのが分かった。
ユーノもまた、ヴィヴィオのことが大好きなのだ。
「ユーノ君、ニヤニヤしてる……」
『ご、誤解されるような言い方しないでよ！？ これは、あくまで純粋な――』
慌てるユーノの様子を見ながらも、なのはの思考は別のところにあった。
何気ない会話、何気ないやり取りをしていると、ふと思う瞬間があるのだ。
今の、彼と自分の関係のことを。
（私とユーノ君との関係は、“友達”“親友”でしかない……）
いいや、もうちょっと深いかもしれない、となのはは頭の中で否定する。
“友達以上恋人未満”という言葉が頭の中でぐるぐると回っている。
（――私はユーノ君のことが好き……）
この気持ちが、友達に対しての好きではないということも、分かっている。
１０年間抱いてきた友情といったものが、いつの間にか愛情というものに変化していたのだ。
（きっと、ユーノ君も私のことを想ってくれていると思う……）
自惚れではないと、なのはは思っている。
自分に向けられている想いの意味に気付かないほど鈍感ではないし、間違えるほど馬鹿ではない。
しかしその想い意味を知りながらもなのはとユーノの関係は“恋人”ではないのだ。
友人たちにはよく『おかしい』と言われるのだが、なのはにはそういった感覚がなかった。
お互いがお互いを大切だと思っている。必要だと感じている。それが十分に理解しあえている。
――ならば、それ以上を求める必要があるのだろうか？
なのはは今の関係で、満足しているのだ。
ユーノと一緒にいられて、些細な触れ合いにちょっとだけドキドキする心地よい関係。
幸せを感じてしまっているのだ。壊したくないのだ。この曖昧であやふやな関係を。
無理に、恋人やそれ以上な関係になる必要が本当にあるのだろうか？
そんな疑問が、いつもなのはの頭の中を巡り回ってしまう。
過去を振り返ってみれば、ユーノとの関係を変える……変わるチャンスは何度もあったのだ。
（――そう、たとえば……あのとき、一度だけキスをした時も……）
あの時のことは、瞼を閉じれば鮮明に思い出として蘇ってくる。
だけどその時なのはは、見えない境界線の一歩手前で立ち止まって、そっと一歩下がったのだ。
きっと、変わってしまう未来ではなく、変わらない今を求めたのだ。
（私は今のままが大切なんだ……きっと、これ以上なんかない）
なのはは“友達以上恋人未満”の関係がいつまでも続くことを願っているのだ。
この曖昧で、心地よい関係が。
とても大切なものだと、想うことができるのだから。
いつまでも、このままでいたいと、想うことができるのだから。
――その想いが、関係が変わることへの恐れと自覚しないままに。
『――のは、なのは？』
「――あっ、ごめんね。なんでもないよ？ ちょっとボーとしてただけだから」
なのはは考えていたことを、頭の片隅に追いやってユーノに笑って見せた。
その様子に、ユーノは訝しげになのはを見つめた。
『なのは、仕事の方は大丈夫？ 無理してない？』
「にゃはは、そんなことないよ〜」
誤魔化さず、素直な言葉をユーノに続ける。
「ＪＳ事件も片付いたし、あとは機動六課の運用期間が終わるまでは、新人たちの教導かな……？」
『あはは、教導もほどほどにね。新人たちがもたないよ』
「むーそれ、どういうことかな、ユーノ君？ まるで、私がいじめているみたいじゃない」
頬をぷぅーと膨らませて、なのははユーノに怒って見せた。
そんな、１０年前から変わらない、可愛らしい仕草にユーノは笑った。
「むぅ、笑わないでよ、ユーノ君！」
「ごめん、ごめん――」
そんな会話が、二人の間で続いて行く。
友達以上、恋人未満の関係で。
そう、これからもずっと。
なのははそう、思っていた。
＊＊＊＊＊＊＊＊
なのはとの楽しい会話が終わった後、ユーノは無限書庫で仕事を再開していた。
昼も夜も変わらず機能し続ける管理局の情報部署。それが無限書庫。
基本的に、仕事がなくなることがないのだ。
「――これは、M-010725番の棚にっと……んーと、これはG-02048――」
ユーノが今行っている作業は、新しく発見された書物を、分野・種類別に分別していくものである。
無限書庫は広い。その名の通り空間がゆがみ、無限の蔵書量を誇っている。
ユーノが書庫を整理し始めてから数年が経過しているが、いまだに新しい書庫が発見されることもあるのだ。
無限書庫では求められた資料を素早く揃えることが第一の仕事である。
しかし、こういった書物の分別することも、また大切な仕事なのである。
「えーと、次は……いたっ――なんだろ、最近よく頭痛が起こるなぁ」
最近の生活習慣の乱れのせいだな、と思いユーノはそろそろ“休暇を取らないとなぁ”と実感した。
なのはに注意されて、こまめに休息はとるようにはしているのだが、丸一日休暇というのはここのところ取っていない。
なぜなら、最近いろいろと立て込んでいるのだ。
新しい書庫の発見。調査の難航。資料の紛失など、忙しくなることが狙ったように立て続けに起きている。
誰かの陰謀なのかと、天に呪いの言葉を吐きたいくらいなのだ。
結果として、無限書庫司書長――責任者としては、あまり現場を離れられないのだ。
「――はぁ、だけど休みも取らないとなぁ……ん、あれ？ これ、なんだろ？」
そんなことを考えながら読書魔法を展開していたユーノは、一旦魔法を使うのをやめた。
目の前に現れたのは、古びた一冊の本だった。
ひどく汚れていて、ボロボロではあったが、何の変哲もない本だった。
「――どうしてだろ？ 読書魔法がうまく働かないなぁ……ありゃ、解析魔法もダメだ」
首をかしげながら、その本を取ってみる。
やはり、実際に手に取って触れてみても、何処にでもあるような本だった。
まれに発見される魔道書の類ならば、魔法が無効化される可能性もあったのだが、それも違うようだった。
結局、ユーノにはこの本がどんなものか分からずじまいだった。
「とりあえず、タイトルは……駄目だ、ボロボロでもう読めないや」
本来題名が書かれているはずの表紙は、もはやその機能を果たしていなかった。
どうしようもないので、中身を読もうと本を開いた。
「――うわ……僕の知らない言語様式だ。無限書庫のデータに同様の言語があるか調べてみないと……」
そう言って、無限書庫のデータバンクを呼び出し、該当データがないか検索をする。
ここにデータがないとしたら、これは新たな言語様式ということになる。
「該当なし、か。まぁ、なんとなく予想はついていたけどね……この本、どうしようかな？」
ユーノの中に久しぶりに未知への探求心が湧き上がっていた。
解読については、それなりの知識を持ち合わせているという自信があった。
だからユーノはその本を自宅に持ち帰って、暇な時にでも解読を試みることにした。
「――じゃ、仕事を再開しよう。この後も、重要な仕事が残っているしね……んっ？」
ユーノは何かに気づいたように、本棚の隅に視線を当てた。
しかし、そこには、特に気になるものはなかった。
「――気のせいか……」
疲れてるのか、と思いながら、視線を本に戻した。
ユーノが見つけた不思議な本。
もう読めなくなっていたタイトルには、こう書かれていたのだ。
『アルハザードに住まうモノ』
そう、書かれていた。
＊＊＊＊＊＊＊＊
その世界は、乾いた世界だった。
剥きだしの岩肌に、吹き付ける砂塵。
その世界でも、彼女はひとりきりだった。
彼女はひとりきりになってしまった。
なぜなら、彼は彼女を置いて死んでしまったから。
なぜなら、愛しい娘は信じていたモノの犠牲となってしまったから。
だから、彼女の心が求めるものはただひとつだった。
その彼女が見据える先にあるものは、この風景には似合わない人工的な建物。
そう、そこに彼女が求めるものに繋がるものがあった。
「――あそこだね……」
彼女は己の胸に手をあてた。
それは、これから行う行為に対する、罪悪感のためだろうか。
彼女は理解している。
自分のしていることは、身勝手な行為で、決定的に間違っていると。
「――それでも、私はやらなくちゃいけない」
それでも、彼女は止めようとは思わない。
それ以上に、成し遂げたいと想う理由が存在したから。
そう、彼に会うのだ。
そう、彼女に逢うのだ。
それ以外に、彼女の心に形作るものはなかった。
「――行くよ……」
『――』
もう、答えない相棒を片手に、彼女は飛んだ。
黒色の魔力を纏いながら。漆黒の翼を羽ばたかせて。
直後、圧倒的な力を持つ黒色の魔力の奔流が、建物を襲った。
圧倒的な力で、ほんのわずかな時間で、その建物が崩れ落ちていった。
その日、第７１管理世界・古代遺失物研究保管施設が崩壊した。
――そう、こうして、ひとつの物語は変わり始める。
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