「えーと、この資料は……」

　ここは無限書庫。その名の通り、無限とも言える膨大な量の本が眠る場所。

　まさに、本の聖地。

　その空間の中央にユーノは胡坐を組みたたずんでいた。

「これは明日まででいいから……これは今日中だったかな？」

　無限書庫司書長の肩書きを持つユーノは、読書魔法を使用しながら新たな依頼書に目を通す。

　そして、依頼書に書かれた資料を探すべく、すぐさま検索魔法を展開する。

　検索魔法を展開し、読書魔法を使用する。

　ここまでならば、少し魔法をかじったことがある者になら誰にだって出来ることだ。

　しかし、ユーノの魔法のレベルはそれを遥かに逸脱していた。

　検索魔法や読書魔法の多重同時使用。

　それがユーノには出来た。

　ただの基本魔法の同時展開でしかないが、ある種レアスキルとも言えるユーノの才能だった。

「司書長！　例の件に関する資料はどの辺にまとめておけばいいっすか？」

「それは２課のほうからの要請だから、２課のほうにまわして」

「はいっす！　２課ですね」

　若い大柄の司書がユーノの返事を聞き、同僚の元へ戻っていった。

「――２課の方にまわせってさ」

「ああ、そうか。助かったよ」

　同僚の小柄な司書にユーノに聞いたことを伝え、若い大柄の司書は自分の持ち場に戻る。

　無限書庫は忙しい。少しだって休んでいる暇が無いのだ。

「――司書長の様子はどうだった？」

「いつも通りさ、すごかったよ……やっぱり天才ってやつだな」

「魔法の多重同時使用のことか……確かに、アレは凡人には不可能だよね」

　うんうんと頷きながら、小柄の司書は答えた。

「実際のところ、司書長がいなくなったら、この無限書庫の機能は著しく低下するだろうからな……」

「そうだよね……２年位前に司書長が風邪で１週間くらい寝込んだときもすごかったからね」

「あの時か……ありゃ大混乱になったからな」

　そう、２年前ユーノが１週間ほど無限書庫を離れただけで、大いに無限書庫は混乱し、機能が麻痺してしまったことがあった。

　その頃から比べれば、今ではだいぶマシになった。

　ユーノがいなくとも機能が麻痺することはないだろう。

――それでも、無限書庫の機能の低下は避けられないのだが。

　それだけユーノという存在は無限書庫で……いや管理局にとっても重要なものとなっている。

　――ユーノ本人はそのことをほとんど自覚はしていないが。

「人員補強もかなりやってるんだがなぁ……」

「半分くらいが、激務に耐えられなくて止めちゃうからなぁ」

　はぁ〜、と司書二人は同時にため息をつく。

　司書はなかなか増えず、依頼は増える。――これが激務に追われる無限書庫の実態である。

「ほんと、司書長がいてくれてよかったよ……」

　その一言は、本当にその通りであった。

「うーん、これは本局にっと……いたっ」

　順調に仕事を進めていたユーノは突然、頭に鋭い痛みを感じた。

　最近、たびたび同じような痛みが襲うことがあったが、ユーノは大して気にはしていなかった。

「いたたた……疲れが溜まってるのかな？」

　最後に休暇を取ったのはいつだったのかな……？と頭の片隅で考えながら中断した仕事を再開する。

　もう一度、検索魔法と読書魔法を展開する。

　同時に先ほどと同じ痛みがユーノを襲った。

「いたっ……どうしちゃったんだろ？　やっぱり疲れのせいかな……だけど、この仕事は今日中に終わらせないといけないし」

　このくらいの痛みならば我慢できると判断して、ユーノは痛みをこらえて魔法を展開する。

しかし、それはユーノの浅はかな考えだった。

「――――――えっ？」

　ドサッという音が遠くに聞こえるのをユーノは感じた。

　身体が自分のものではないような感覚。かすれてゆく意識。

「―――だ―じょう――か！？　し――ちょう！」

　誰かが叫んでいる声が遠くに聞こえる。

　しかし、それが誰かと考える思考も、ユーノには無くなっていた。

　―――そしてユーノの意識は完全に落ちた。

　リリカルなのはEternal Memory　　Scene１　罅割れる日常

　次にユーノが目覚めたときには、見知らぬ真っ白な部屋だった。

「―――気付いたか？」

　聞きなれた声が、近くで聞こえるのをユーノは感じた。

　思考を整理させる。……どうやらここは病室のようだった。

「……クロノ？」

　しばらく周囲を見渡してから、ユーノは傍らに座っていた青年に声をかけた。

　自分はベッドの上だ。――冷静に現在の状況を確認していく。

「ああ……その通りだ、ユーノ。身体の方は大丈夫か？」

「うん、大丈夫みたい……それにしても、どうして君がここに？」

　ユーノはクロノに問いかける。

　自分はたぶん仕事中に倒れてしまったのだろうとユーノは見当をつけた。

「たまたま、君のところへ直接依頼を持っていくところだった」

「――また、追加の依頼？」

「そういうな……無限書庫に行ったら君が倒れていて騒ぎになっていたからな。君に話したいこともあったから、こうして付き添いについたわけだ」

「……話したいことって？」

　ユーノがクロノに聞き返すと、クロノの顔がいきなり険しくなった。

　どうしてだろうという顔をユーノがしていると、クロノは重たい口を開いた。

「――先ほど、医者と話をした」

「それで？」

　数秒の沈黙が何もない部屋に訪れた。

　そしてその沈黙をクロノが破る。

「―――――君は、限界だそうだ」

「――そう」

　二人が交わした会話はそれだけだった。

　前々から判っていたこと。それがこの瞬間に現実になっただけ。

　ただ、考えないようにしていた。頭の片隅に追いやって、気付かないようにしていた。

「これから……どうするつもりだ？」

「何も変わらない、今まで通りの生活を」

　ユーノはいたって普通に、いつも通りの顔で、声で答える。

　そんな態度のユーノにクロノが激昂した。

「判っているのかっ！……君は、死ぬん(・・・)だ(・)ぞ(・)！」

「……わかっているさ」

　脳神経圧迫症状というものがある。

　脳神経への過剰な負担――つまり、読書魔法や検索魔法の過剰使用によって引き起こされる難病。

　それが、ユーノの身体に起きた異変。

　読書魔法に検索魔法――そのどちらも、大きく精神に負担をかける魔法だ。

　普通の魔導師ならば、数時間使っただけで自衛本能が働き、頭痛を引き起こす魔法。

――しかし、ユーノには才能があった。

　検索魔法や読書魔法を長時間使用、あるいは多重同時展開を軽々とやってのける才能。

　だが、才能があったとはいえ、その魔法の本質は変わらない。

　その魔法が、負担にならないわけがないのだ。

　それは本人も気付かないまま、少しずつ１０年という月日を経てユーノの身体を蝕み続けた。

「どうして、君はそんなに冷静なんだっ！」

「――やるべきことは分かっているからかな……」

　初めてユーノが病気のことを知ったのは一年前のことだ。

　そのときも今日と同じように、無限書庫で倒れ、たまたまそこにいたクロノに助けられた。

　だから、病気のことを知っているのはユーノとクロノだけだ。

　まだ、そのときは、命が危険にさらされているなんて夢にも思わなかった。

「今までのように、他の人には黙っておいて……余計な心配を掛けたくないから」

「……しかしっ」

「いいんだ……時期が来たらこのことは自分からみんなに話すよ」

「――分かった」

　クロノがしぶしぶ頷く。

　納得はしていない。だが、クロノはユーノを信頼している。

　ユーノはきっと間違えないと。

「医者の話だと、このまま魔法を使い続ければ……もって１年だそうだ」

「――１年……短いね」

「治療に専念しても、数年が限界だ。君の病気に完治はない、悪化を遅らせることしか出来ないそうだ」

　クロノが悔しそうな顔をして、言葉を吐き捨てた。

　ユーノは、とっくにそんなことは知っていた。

　だから、病気のことを知ってから、いろいろなことを考えてきた。

　これからどうするかを。

「分かっているよ、クロノ。君にはいろいろ迷惑を掛ける」

「そんなことをいうな……君は自分のことだけを考えろ」

　二人の会話はそこで終わった。

　クロノが静かに立ち上がり、出口に向かっていく。

「ユーノ、絶対に無理だけはするな」

　その一言だけを残し、クロノは病室を後にした。

「――で……どうなの、なのは？」

「どうなんや？　なのはちゃん」

　久々の休暇。偶然にもいつもの５人が海鳴市の翠屋に集まることが出来たその日。

　なのははピンチに面していた。

「どうといわれましても……特には……」

　親友二人――アリサとはやてからの一方的な追及になのはは困っていた。

　残りの二人――フェイトとすずかの方を見てみても、ただただなのはを見守っているだけだ。

　むしろ、興味津々の顔でなのはを見ている。

「“特には”ではないでしょうが！　あれからどれだけたってると思ってんの？」

「そやそや、きっちり白状しいや」

「……うううぅぅ」

　二人の激しい追及はまったく衰える様子はない。

　なのははもう一度、藁にもすがる思いでフェイトを見た。

　そんななのはに同情したのか、フェイトが間に入ってくれた。

「アリサ、はやて……なのはも困ってるから、その辺で……」

「なんや、フェイトちゃんは気にならへんのか？」

「そうよ、フェイトだって気になるでしょ。なのはとユーノの関係」

　アリサの言葉にフェイトは考え込む。

　なのはがユーノのことが好きなのは、もはや何年も前からの周知の事実なのだ。

　フェイトだって大親友の恋の行方は気になるのだ。

「ごめん、なのは……私もそのことは気になる」

「フェイトちゃんもなの！」

　大親友に裏切られ、なのはは最後の希望、すずかの方を向いた。

「なのはちゃん、ちゃんと話したほうがいいと思うよ」

　どうやらなのはは孤立無援のようだった。

　大きなため息をついて、なのはは机に伏せた。

「もう、うちらも２０歳や……子供とはちゃう」

「そうよ、なのは。ユーノのこと好きなんでしょ、告白くらいしたんでしょうね？」

　なのはは顔を真っ赤にさせて沈黙したままだ。

「なに？　告白もまだなの？」

「ダメダメやな、なのはちゃん」

　そんななのはを見てアリサとはやてはハ〜と大きくため息をつく。

　この親友は非常に恋に奥手なのだ。

　自分達のことは棚において、なのはを見つめた。

「……だって、その……」

　なのはが顔を真っ赤に染めて何かを言おうとしている。

　だけどその言葉は要領が得なく、何を言っているのかフェイトたちにはまったく分からなかった。

「そんなんじゃ、他の人にユーノを取られちゃうわよ」

「そやな、顔は良くて、地位もある……優良物件間違い無しやな」

「…………えっ」

　二人の言葉になのはは赤くした顔を真っ青にさせた。

　なのはだってユーノのことが好きなのだ。

　ユーノとは結ばれたいという願望もあるし、このままじゃダメだという思いだってある。

　だけど、告白をする踏ん切りがつかないのも事実。

　――乙女心は複雑なのである。

「なのは……きっと大丈夫だよ」

「フェイトちゃん……」

　なのははフェイトの手を取って、フェイトに抱きついた。

　そんな様子を見ていたアリサとはやては、もう一度ハ〜と大きなため息をついた。

「あんたらは……」

「これやと、進展はまだまだかもなぁ〜」

　――乙女達の会話はこの後も続いた。

　ベッドの上でユーノは物思いにふけっていた。

　この結果に行き着くことは知っていた。理解もしていた。

　だけど心のどこかでそれを認めない自分自身もいた。

　自分の命はもうそんなに長くはない。

　それは、厳選された事実なのだ。

　――だから考えなければならない、これからどうするのかを。

「結局……行き着くところは同じなんだ」

　自分の命の使い方。

　誰かのために、何かをすること。

　それが一年前から考えてユーノが導き出した結論だった。

「こんなことをいえば、きっとクロノは怒るだろうけれど……」

　無限書庫の効率化。

　それがユーノの導き出した結論。

　ユーノは自分自身に力が無いことは分かっている。誰かを助けるような単純な力は無い。

　だけど、唯一自分に出来ること。――それが、無限書庫の効率化。

　無限書庫は今や管理局には無くてはならないものまでになった。

　無限書庫がうまく機能することで、誰かのためになるならユーノはそれでいいと思った。

　――たとえ、この身を削ろうとも。

　ならば、やるべきことは決まっている。

　いつものように無限書庫に行って、いつも通りに働く……それだけだ、とユーノは考える。

　何も変わらない日々を、ユーノは歩み続ける。

　――シャーと冷たい水が流れる音が聞こえる。

　水が頬をつたい、身体を濡らす。

　火照った身体が冷やされ、意識が覚醒していく。

「……ふぅ〜、いい気持ち……」

　なのはは髪をかき上げながら呟いた。

　疲れた身体を、冷たい水が癒していく。

「楽しかったなぁ……久々にみんなにも会えたし」

　昼間の光景を頭に思い浮かべて、なのはは軽く微笑んだ。

　みんなとの久しぶりの会話はとても楽しいものだった。

　楽しいときを思い出すと同時に、なのはの頭の中にはアリサの言葉も思い浮かべられた。

『――そんなんじゃ、他の人にユーノを取られちゃうわよ』

　そんな言葉を思い浮かべ、なのはは身震いをした。

「――告白かぁ……」

　何もないバスルームの天井を見ながらなのはは呟く。

　なのはももう２０歳なのだ。

　もう子供でもないし、これから何をすればいいのかもきっちりと頭の中では理解もしている。

「どうしたらいいのかなぁ……」

　ハ〜と大きなため息をついて、冷たい水をもう一度頭から流す。

　なのははかなり前からユーノのことを意識していて、何度もユーノに告白をしようとした。

　だけど、いざ告白をしようとユーノを前にすると、緊張して何も喋れなくなってしまうのだ。

　――なかなか思ったとおりに、身体は動いてくれないのだ。

「……ユーノ君」

　想いを寄せる彼の名前を呟いて見る。

　彼の名前を声に出すだけで、彼への気持ちの大きさが分かる。

　この気持ちは確かなもの。誰にも否定できない真実の想い。

　だから伝えなければならない。

　――勇気を振り絞って。――覚悟を決めて。

　“好きです”と……。

　―――ピピピピピピピピ……

　ユーノが寝ようとした時、机にあった携帯が突然なった。

　こんな時間になんだろ？と思いつつも、携帯のディスプレイを覗き込む。

『新着メール　１件　高町なのは』

「……なのはから？」

　携帯のディスプレイを見て少し驚く。

　なのはと最後に会ったのはいつだっけ……と頭の中に思い浮かべる。

　そうしながら、メールの本文を読み進めていく。

『三日後にお休みが取れたので、久しぶりに逢いたいな』

　メールにはその一行だけが書かれていた。

　メールの内容に少し驚きつつも、ユーノは幸せな気分に浸っていた。

　なのはと逢えるのは嬉しいし、話をするのも楽しい。

『うん、僕もちょうど休暇だから、久しぶりに逢おうね』

　メールを送信する。

　ユーノだってなのはのことが好きなのだ。

　なのはのことをずっと前から……いや、もしかしたら出会った時から好きだったのだ。

　――だから、決めなくてはならない。

　――覚悟を。

続く

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